絵を描く事を神とでも契約したのか?ひたすらに絵と向き合い、向き合う事から一歩も逃げず、絵に全てを捧げ、ようやく行き着いたオリジナルの世界。
しかし、まもなく彼は死んでしまう。絵を描く事が好きとも言えず、取り憑かれたように感じるその生き様を映す時代毎の作品に、心が徐々に引き寄せられていくのを感じた。
一番好きな ‘星月夜’ がなかったのは残念でならないが、それでも最後の部屋にあった ‘糸杉’ の前に立った時、目が潤むのを感じた…。到達した世界の眩しいばかりの輝きを確かにそこに感じた。
そこへ行くまでにどれだけ自分の絵を塗り潰して来たのだろう。 自分に憤りながらも絵に向かおうとする彼の姿が目に浮かぶ。。
さて、人が足を止めて立ち止まるもの。それは人生を捧げた時間をみせてくれる情熱、それがはじけとんだ破片が見えた時だと愚生は考える。到達する過程の中に技術の上手い下手はない。そこに行く決め手の第一歩は好きか嫌いか、第二がどれくらいその火を灯し続けられるか、そして第三はきっと。。
破片の微震が伝わってしまい、心が震えている自分がいる。おっさんになっても若者のように心は震えるんだな。さあ、どうしよう。。
陶芸家の皆さんはどんな風に器と向き合っているんだろう。。
あ、メリークリスマス。
皆さんに幸せが訪れますように。
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